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経済学と生態学の融合が導く、知床の森林再生の新たな道 ―未来世代への思いやりを反映した世代間で公平な植林戦略―

経済学と生態学の融合が導く、知床の森林再生の新たな道
―未来世代への思いやりを反映した世代間で公平な植林戦略―

  新万博体育_万博体育官网-【官方授权牌照】農学部附属広域都市圏フィールドサイエンス教育研究センターの小林勇太助教らの研究グループは、知床国立公園での森林再生プロジェクトをテーマに、一般市民を対象としたアンケート調査を実施しました。この調査では、「80年で森林が回復するシナリオ」と「60年で森林が回復するシナリオ」の2つを提示し、それぞれのシナリオに対する支払い意思額(寄付金額)を尋ねました。この2つの金額の差から、回答者が「森林の回復が20年間遅れる」ことを年利でどれだけ割り引いているのか(時間割引率)を推定しました。
 調査の結果、森林再生に対する日本国民の時間割引率は一般的に考えられていた値(年利約33%)よりもはるかに低い年利1.17%であることがわかりました。森林再生は数十年から数百年という非常に長い時間を要し、コストを負担する現在世代がその恩恵を享受できる保証はありません。それにも関わらず時間割引率が低い結果となったことは、多くの日本人が将来世代に対して強い思いやりを抱いており、長期的な環境保全と再生の価値を重視していることを示しています。
 また、この推定された時間割引率を用いて、植栽密度や植栽樹種数を変えた31種類の森林再生シナリオに対して費用と便益(自然から得られる利益や恩恵)を比較して妥当性を評価する「費用便益分析」を行いました。この分析の結果、すばやく森林を回復させる高コストな方法を採用するよりも、低コストでゆっくりと回復させる方法が経済学的に最適であることが示されました。経済合理性と生態学的回復速度それぞれから判断される適切な森林回復手法が必ずしも一致しないことは、世代間の公平性に配慮した持続可能な森林再生計画の必要性を強調しています。本研究は、生態学と経済学が統合した新しい評価の枠組みを提示し、他地域や他国での効率的な生態系再生活動を促進する基盤を提供します。

本研究成果は、Forest Policy and Economicsへの掲載に先立ち、1月24日にオンライン掲載されました。
論文名:Misalignment between ecologically rapid and economically optimal forest restoration designs
URL:https://doi.org/10.1016/j.forpol.2025.103426

背景
 世界の自然環境は、大規模な開発や人間活動によって大きく変化し、気候変動や生物多様性の損失といった深刻な社会問題を引き起こしています。これらの課題を解決するためには、人々に便益をもたらすものとしての自然資源(自然資本)を回復させる取り組みが不可欠です。特に日本では、人口減少や都市部への集中により耕作放棄地が増加しており、こうした土地を活用して森林を再生する取り組みが進めやすい状況が整いつつあります。
 ここで問題となるのが、森林再生プロジェクトに必要なお金や労力を負担する世代と、その恩恵を享受する世代にずれが生じることです。樹木の成長は数十年から数百年という長い時間を要するため、気候変動の緩和や生物多様性の保全といった便益は、2~3世代先の人々に届きます。一方で、植林活動や苗木の維持管理にかかるコストや労力は、プロジェクトの開始段階で集中します。この不平等性を解消し、プロジェクトの妥当性を適切に評価するには、コストを負担する現代世代の「未来世代のための思いやり」を反映した費用便益分析が求められます。経済学分野では、この「未来世代のための思いやり」を時間割引率という指標(将来の価値を現在の価値に換算する際の調整係数)で表現します。簡単に言えば、未来で得られる利益や便益を「いまの価値」に置き換えるための利率です。例えば、1年後に1万円の利益が得られるとします。このとき、割引率が0%であれば、その1万円は「いまの1万円」と同じ価値として扱われます。しかし、割引率が5%であれば、その1万円の現在価値は約9500円に下がります。割引率が高いほど現在における将来の価値が軽視され、逆に割引率が低いほど将来の価値が重視されます。
 本研究では、北海道知床国立公園における森林再生プロジェクト(図1、注1)をケーススタディとして取り上げ、日本の一般市民を対象にアンケート調査を実施し、森林回復に対する時間割引率を定量化しました。次に、得られた時間割引率を用いて、知床国立公園での森林再生プロジェクトの費用便益分析を実施しました。

研究体制
 本研究は、新万博体育_万博体育官网-【官方授权牌照】農学部附属広域都市圏フィールドサイエンス教育研究センターの小林勇太助教、神戸大学人間発達環境学研究科の佐藤真行教授、東京都市大学環境学部の内田圭准教授、東京大学先端科学技術研究センターの森章教授によって実施されました。本研究は、科学技術振興機構 RISTEX SOLVE for SDGs(JPMJRX21I4、JPMJRS23I4)、三井物産環境基金(R17-0062)、文部科学省気候変動予測先端研究プログラム(JPMXD0722678534)の資金援助を受けました。

研究成果
 本研究では、日本全国の2806人を対象にオンラインアンケートを実施し、森林再生に対する意識や考えを調査しました。アンケートでは、「80年で森林が回復するシナリオ」と「60年で森林が回復するシナリオ」の2つを提示し、それぞれのシナリオに対する支払い意思額(寄付金額)を尋ねました。この2つの金額の差から、回答者が「森林の回復が20年間遅れる」ことを年利でどれだけ割り引いているのか、すなわち時間割引率を算出しました。
 次に、この時間割引率を基に、森林再生プロジェクトの割引現在価値を計算しました。割引現在価値とは、プロジェクトにかかる費用と、将来的に得られる便益を現在の価値に換算して比較する指標であり、経済的妥当性を評価する際に用いられます。分析には、森林プロセスモデル(注2)によって計算された森林回復過程のシミュレーション結果を活用しました。このモデルでは、植える樹木の本数(密度)や種類を変えた31通りのシナリオを設定し、各シナリオにおける100年間の森林再生プロセスが予測されています。シナリオ毎に炭素の吸収量や生物多様性の回復状況を1.17%で毎年割り引くことで便益を貨幣換算し、それにかかるコストと比較して割引現在価値を算出しました。
 結果として、時間割引率の平均値は年利1.17%と推定されました。過去の研究では、直接的な金銭的報酬に対する時間割引率が年利約33%と推定されており、その数値に基づくと数十年を要する森林再生の便益は「ほぼ0円」と見なされてしまいます。それに対して、今回の結果は、一般市民が森林再生のような長期的な環境便益を重要視していることを示しており、将来世代を意識した高い社会的思いやりが反映されていると考えられます。このような結果は、長期的な視点を必要とする環境保全活動の推進にとって、大きな後押しとなるでしょう。
 費用便益分析の結果、植栽種数が多く、密度が2500?5000本/haのシナリオが経済的に最適であると評価されました(図2)。これらは生態学的に迅速な再生を目指した高密度植栽シナリオ(7500?10,000本/ha)とは大きく異なり、経済合理性と森林回復速度それぞれから判断される適切な植栽シナリオが必ずしも一致しないことを示しています。さらにインフラ事業などで使用される年利4%や6%といった高い時間割引率を適用した場合、多くの森林再生シナリオが赤字になることが確認されました。つまり、割引率の設定によっては、森林再生活動を実施するべきでないという結論が導かれる可能性があります。これらの分析を通じて、持続可能な森林再生計画を検討する際には、割引率の設定が極めて重要であることが強調されました。

後の展開
 本研究は、ボランティア主体の環境保全活動において、人的?金銭的リソースを生態系の回復速度の向上だけに集中させる必要はないことを示しています。例えば、保全?修復の範囲を広げることや自然を楽しむためのインフラ整備など、他の施策への活用も選択肢の一つです。ただし、「知床」というブランド力の高い地域を対象に行われたため、他地域での適用可能性を評価することが今後の課題として挙げられます。
 100年先の未来において、回復した森林が他の土地利用に転換される需要が生じた場合、それは一瞬で行うことができます。しかし、森林であってほしいという需要に応えるためには、今活動を始めなければなりません。このアプローチは、理想の環境を未来世代に押し付けるのではなく、選択肢を広げるための努力といえます。この点において、日本人の多くが将来世代に対して高い思いやりを持っているという文化的背景は、持続可能な森林再生計画において大きな強みとなります。

研究者のコメント
 1.17%という数値を見て「そんなものか」と感じる方もいるかもしれませんが、環境保全に携わる私たちにとっては極めて希望を抱ける結果です。これは、「森林の回復はゆっくりでもよいが、実施することが重要である」という主張を、生態学的にも経済学的にも支持する結論を導く重要な数字です。環境経済学や気候変動の経済学分野では、適切な割引率について議論が行われており、6%のような高い割引率を支持する人や、1%程度の低い割引率を主張する人がいます。本研究は、こうした背景を全く説明せずにアンケート調査を実施したにもかかわらず、一般の人々が長期的な環境資産に対して低い、またはゼロの割引率を直感的に割り当てていることを示唆しています。世界に先駆けて日本人のみを対象としているため、他国の文化的背景において、どのような割引率が見られるのかは別の検証が必要です。本研究が、生態学と経済学を結びつける架け橋となり、他地域や他国での生態系再生活動を促進する契機となることを期待しています。

用語解説
注1 )しれとこ100平方メートル運動
 かつて乱開発の危機にあった知床国立公園内の開拓跡地を保全し、原生の森を復元する取り組み。全国から寄付を募り、1997年までに延べ4万9千人の参加と5億2千万円の寄付が集まった。その結果、ほぼ全ての土地を取得し、2010年に100%の買い取りが完了した。現在も「100平方メートル運動の森?トラスト」として、生態系の復元を目指した活動を続けている。

注2 )森林プロセスモデル
 森林の成長や競争、死亡といった動態をシミュレーションするコンピュータモデル。本研究では「iLand」というモデルを使用し、植栽密度や樹種数を変えた31通りのシナリオを比較した。これにより、炭素吸収や生物多様性の回復といった生態系サービスを評価し、各シナリオの適切性を分析した。このモデルは現地データに基づき、環境条件や管理計画に応じた柔軟な予測が可能である。  
 
  

図1:(a) 知床国立公園の位置図。灰色の点線は国立公園の境界を、赤枠は森林再生運動地(注1)を示しています。Temp.:年平均気温、Prec.:年降水量、Elev.:標高。(b) 森林再生地域の開拓当時の写真。(c) 1974年に撮影された森林再生地域の航空写真。緑色の部分は残された森林、白色の部分は農業用地として使用された後に放棄された地域を示しています。(d) 知床国立公園と斜里町の位置を示す拡大地図。

 

図2:31通りの森林再生シナリオごとの (a) 森林再生にかかる時間と (b) 割引現在価値 (NPV)。横軸は植栽する樹木の種類の数、縦軸は植栽密度(1 haあたりの植栽本数)を示しています。各マスの色の濃さは、それぞれのシナリオにおける森林再生にかかる時間 (a) とNPVの大きさ (b) を表しています。森林再生時間 (a) は、天然林の値の50%を達成するまでの時間として定義しています。それぞれのパネルでは、最も迅速に最大の森林再生時間を達成したシナリオ (a) と、最も高いNPVを持つシナリオ (b) の上位3つについて、番号を付けて示しています。

  



◆研究に関する問い合わせ◆

 新万博体育_万博体育官网-【官方授权牌照】 農学部付属広域都市圏フィールドサイエンス教育研究センター 
  助教 小林 勇太(こばやし ゆうた)
   TEL/FAX:042‐367‐5857
   E-mail:fx7057(ここに@をいれてください)go.wxanhx.com
   

プレスリリース(PDF:627.7KB)

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